近世
江戸時代
江戸時代に入ると川口村は高田藩に属します。佐渡金山からの輸送路として三国街道の新道が開かれると、参勤交代路として活用され宿場町として発展しました。当時は水運が盛んだったため、2本の川が合流する川口村は水上交通や物資輸送の重要拠点となりました。越後騒動で高田藩が改易されると、江戸幕府直轄の天領になりました。
明治以降
廃藩置県の際は柏崎県に属し、明治6年に新潟県になりました。明治22年の町村制施行の際に川口村と称しましました。昭和32年に町制を施行して川口町になりました。
大正~昭和
川口に初めて電灯がともったのは大正11年、水道が引かれたのは昭和30年でした。昭和34年には町営ガス事業が開始されました。明治、大正、昭和にかけて、水害、大雪、冷害、飢饉など様々な災害を乗り越えながら、徐々に農地や住宅地が整備されていきました。学校や病院、公園、スポーツ・文化・福祉・公共施設などが整えられ、人々の暮らしが充実していきました。
交通の発達
鉄道 | 大正10年 | 上越線 小千谷―川口間 開通 |
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鉄道 | 昭和2年 | 飯山線 十日町―川口間 開通 |
鉄道 | 昭和6年 | 上越線全線 開通 |
バス | 昭和6年 | 小千谷―小出間 バス運行開始 |
渡船 | 昭和50年 | 西倉橋の竣工により江戸時代からの渡船が終了 |
高速道路 | 昭和57年 | 関越自動車道 越後川口―長岡間・川口―小出間 開通 |
現代
中越大震災
平成16年10月23日午後5時56分、川口町を震源とする震度7、マグニチュード6・8の直下型大地震が起こりました。多くの建物が倒壊したり死者やけが人が出るなど甚大な被害を受けました。交通は寸断され、町は孤立化し、すべての町民は避難生活を余儀なくされました。町民は協力し助け合い、全国各地からのボランティアの方々の支援に支えられながら、一丸となって復興を目指しました。
長岡市との合併
全国で地方分権が推し進められる中、川口町でも平成18年より合併に関する説明会がスタートしました。住民投票で長岡市との合併が選択され、県内初の飛び地合併となることが決まりました。平成22年3月30日川口町は閉町され、3月31日長岡市と合併しました。川口町が有する産業や観光資源、豊かな自然環境は長岡市に多くの地域資源をもたらしました。